世界を旅する中での一番の奇跡は、妻に出会えたこと。
今回は、世界一周の旅で僕が出会えた奇跡の話です。
悲劇に関してはたくさんトラブルがありましたが、奇跡に関しては一つだけです。
この度の奇跡こそが、僕がしてきた旅での集大成であります。
これまでに僕が出会ってきた悲劇と交えてお楽しみくださいませ。
特に、悲劇のファイナルでもある「ウガンダでのひったくり」は、今回の奇跡に直結しています。
よろしければ、是非そちらもご覧くださいませ!
世界一周で僕が実際に出会った奇跡
世界一周で僕が実際に出会った奇跡、それは、
妻となる女性に出会えたこと
そこに辿り着くまでの繋がりの全てです!
たった一度の奇跡、それだけで僕の旅人生の全ての悲劇にもお釣りがくるぐらいです。
こんな幸運は、これほどの幸運は、僕の旅人生史上ありません。
心から、”旅をしていてよかった”と何度も思いましたし、今でも振り返って思います。
誰もが「あのときああしていなければ」という巡り合わせの中で出会うわけで、僕も旅をしていなければ妻とは出会えなかったわけです。
現実的に考えれば、奇跡のような確率で僕らは日々人と出会って別れてを繰り返しています。
そう思うからこそ、妻と出会えた奇跡を、尚更胸を張って奇跡と呼びたいのです!
妻と僕のターニングポイント(=奇跡)
どんな2人にも”その出来事がなければ今はない”みたいなターニングポイントがあるといいます。
僕の場合は、旅の途中のウガンダにて、僕が全財産を盗まれたことです。
僕にとって最悪の出来事は、後に来る最高の出来事への布石であると感じる所以でもあります。
きっとこの出来事がなければ、僕は妻と結婚していないかもしれません。
なぜなら、この出来事が起こっていなければ、僕たちはバラバラに旅をし、一緒にアフリカを旅する予定ではなかったからです。
元々僕たちはそれぞれ自分のペースで旅をしており、行き先が同じために一緒に旅をするようになり、付き合いはじめました。
何事もなければ、僕は元々自分が定めていた旅の期間に合わせてペースを上げる予定でした。
”タンザニア辺りで一旦離れ離れになるなー”ぐらいの感覚で、ウガンダでは旅をしていました。
そう、全財産を盗られるまでは。
僕が全財産を盗られ、帰国しか選択肢がないような中、妻はお金を貸してくれ、僕と一緒に旅をする道を示してくれたのです。
つまり、僕が全財産を盗まれていなければ、一緒にアフリカを旅する未来は来なかった、とも言えます。
ウガンダでの全財産ひったくり事件が、僕たち2人のターニングポイントであり、奇跡であったと今振り返って言えるのです。
彼女と旅をさせていただいたおかげで、”5ヶ月ぐらい”でざっくりと考えていた自分のアフリカ縦断旅は、実に”1年3ヶ月”に及ぶものとなっていくのです。
壊滅的な打撃を受けた僕を妻が全面的に助けてくれたこと
旅をしたい気持ち自体は僕の中にもあったこと
行く先や予定は2人でその都度考えていったこと
諸々のことが重なって、僕らは2人でアフリカを縦断できたわけであります。
もしエジプトで出会っていなかったら、
もしウガンダで全財産を盗まれていなかったら、
もし妻が僕に対して「一緒に旅をしよう」と言ってくれる優しさがなかったら、
いずれにせよ、ウガンダの時点で僕は普通に帰国する道を選んでいたことでしょう。
つまり、妻に出会えたことが奇跡なら、
人生で最悪の出来事の際に妻が隣にいたこと
妻が信じられないぐらいに心の広い人でいたこと
妻が愛情に満ち足りた人であること
それら全ての巡り合わせも奇跡だったのです!
人生の伴侶の見つける3つの観点
人生を共に過ごす人を見極める際の大切な観点を3つお伝えいたします。
少なくとも僕は、以下の3つの観点から、今横にいてくれる妻の素晴らしさを感じています。
旅での人間模様はきっと人生にも繋がります。
人によってなにを大切にするかは変わりますが、僕の大事にしている観点が皆さんの参考になるようであれば幸いです。
自分が”どん底のとき”にそばにいてくれるか
僕がウガンダで全財産を盗られたとき、僕には絶望しかありませんでした。
それはそうですよね、誰だって全財産を盗られたら簡単には立ち上がれません。
僕も被害に遭った当時は、なにもする気が起きないような沈んだ気分でした。
その気分に寄り添うように妻は優しく広い心で接してくれました。
その妻のおかげで、僕はまた旅をする元気を取り戻していったと言っても過言ではありません。
つまり、出来事自体は自分にはどうしようもないですが、その出来事に対してどう対応していくかの部分が大事なのであります。
自分の”情けない姿”を見ても一緒にいてくれるか
相手の情けない姿を見ても、どれだけ一緒にいてくれるか、も大事な観点です。
誰かの情けない姿を受け入れていくのは、簡単なようで難しいものです。
被害に遭うのが”情けない”と言うつもりはありませんが、少なくとも僕の場合は、”被害には遭わない俺”感を出していたにもかかわらずの末に被害に遭ったわけで、自分自身への情けなさもたくさんありました。
そんなときでも妻は、”大変とか可哀相とかはまあ思うけど、情けないなんてこれっぽっちも思わない”と言ってくれました。
ありきたりな言葉かもしれませんが、言葉一つで人は嬉しくも悲しくもなるのだなと思った場面でした。
自分の旅を削ってまで「一緒にいる道」を選んでくれるか
全財産を盗られなにもかも失った僕に、妻は「私がお金を貸すから、一緒に旅をしよう」と言ってくれました。
妻は自分の旅の予算を僕に貸してくれました。
いつ返ってくるかもわからないそのお金を、僕に対して使ってくれていいたのです。
返ってからもちろんお金は返しましたが、やはり他人にお金を貸すのは心が進まないものです。
実際にはその人の予算やプランがあるので、貸すのも難しい状況の人もあるかと思います。
大事なのは、一緒にいたいと思ってくれる心です。
相手と一緒にいる道を選んでくれる・選ぼうとしてくれる人は、やっぱり優しい人なのでしょう。
旅をする人に伝えたいこと
旅をする人に僕が声を大にして言いたいのは、
旅の出逢いはどう繋がるかわからないということ
そして、
一つ一つの出会いを心から大切にすること
その2つです。
旅での一瞬一瞬の出会いは、後にどう繋がるかわかりません。
本当に小さな出会いは、もしかしたらあなたの人生にとってなによりも大きいものかもしれません。
それは出会った瞬間にはきっとわかりません。
長い年月を経て、振り返って初めて、「あのときの出会いは奇跡だった」と思うのです。
だからこそ、一つ一つの出会いに愛を込めて過ごしていくことこそ、旅人に課せられた使命なのではないでしょうか。
例えそのときはわからなくても、遠い未来に意味が繋がる出会いも中にはあることでしょう。
出会いを大切にすること、つまるところはその一点こそがいつのときも大切なのです。
そしてその旅をする中での奇跡のような巡り合わせを、人は巡り巡って「運命」と呼ぶのでしょう!
旅をして、人生を変えるような「奇跡」に会いに行きましょう!
さいごに
「世界一周で僕が実際に出会った奇跡」いかがでしょうか?
旅での出会いは、人生を変える可能性を秘めています。
僕も旅をして大いに人生が変わった一人です。
どうか一つ一つの出会いに愛を込めて旅路を進みましょう。
皆さんのこれからの旅路が愛に溢れたものであることを願っています!
ご愛読ありがとうございました!